戦後,知的な機械についての研究を独自に開始した研究者が何人かいます.イギリスの数学者
Alan Turing が先駆者だといわれています.知的機械について彼は1947年に講義でふれました.機械を作成するよりも,コンピュータプログラムによってAIは研究されるべきであるとしたのも彼であるといわれいます.1950年代の終わりには,多くの研究者がAIに携わり,そのほとんどはその基盤をコンピュータプログラムにおいていました.
Alan Turingは,著作“Computing
Machinery and Intelligence”で,機械が知的であるとみなせる条件について議論しています.見識のある観察者を相手に,人間であるかのようなふりをうまくすることができれば,機械は知的であると見なせると,彼は述べています.
このテストは多くの人を納得させましたが,全ての哲学者を納得させたわけではありませんでした.このテストでは,観測者は機械や本物の人間とキーボードや画面を通じて(人間の姿や声をまねする必要をさけるためです)対話し,本物の人間は観察者に自分が人間であると確信させようとし,機械は観察者をだまそうとします.
Daniel Dennettの著書 "Brainchildren" にはチューリングテストに関するすばらしい議論があり,観察者のAIについての知識と質問の主題を限定するなどの制限を加えて今までに行われたチューリングテストについて述べられています.単純なプログラムでも知的であると簡単に信じてしまう人がいることが分かっています.
ロシアの人工知能研究者 Alexander
Kronrod は「チェスはAIのショウジョウバエである」と述べています.彼は,遺伝学者がその研究にハエを用いることにたとえています.チェスの対戦には,知的な要素とそのほかのものが必要です.チェスをするプログラムはグランドマスターの水準にありますが,人間のチェス選手が用いている知的手段うちの限られたものを備えるにすぎず,ものごとの理解を大量の計算によって代替しています.これらの手段を理解しさえすれば,現在のプログラムよりより少しの計算で人間並のチェスプログラムを作ることができるでしょう.
哲学者 John Searle は,生物ではないものが知的であることには矛盾があるという考えを述べています.哲学者
Hubert Dreyfus はAIは不可能であると述べています.コンピュータ科学者 Joseph Weizenbaum は,このような考えは不愉快,非人道的,かつ,反道徳的であると述べています.現在も人工知能は人間並みにはなっていないため,不可能であると述べる様々な人がいます.投資した会社が倒産したことに失望する人もいます.
計算可能性理論と計算複雑性はAIにとって鍵となる要素でしょうか?
注:これらは数学理論とコンピュータ科学の専門的な問題で解答も専門的です.
いいえ.これらの理論は関連はありますが,AIの基本的な問題点を扱うことはできません.
1930年代に,数理論理学者,特に Kurt Goodel と Alan Turing は,ある種類の重要な全ての数学的問題を解くことを保証するアルゴリズムが存在しないことを示しました.1階述語論理の命題が定理であるかとか,複数の変数をもつ多項式が整数解を持つか,などがその例です.これらの種類の問題を人間は解いてきましたため,コンピュータは人間がすることを本質的にできないという主張として,時には誇張されて,このことは引き合いに出されました.しかし,人間もこれらの種類のどの問題も解けると保証されているわけではありません.
1960年代にコンピュータ科学者,特に Steve Cook と Richard Karp はNP(non-deterministic polynomial)完全問題の理論を確立しました.これらの問題は解くことはできますが,問題の規模に対して指数関数的に時間がかかるとみられています.命題演算のどの命題が充足可能かという問題はNP完全問題の基本的な例題です.人間は,NP完全な問題を汎用のアルゴリズムが保証するよりも短い時間で解くことができることもありますが,一般には速く解くことはできません.