本研究では、メモリ、プログラム、MPUという計算機の3要素を備えたスマートIC カードを利用したエージェント指向の分散協調システムの提案を行う。 カード上や情報提供端末上のソフトウェアエージェントを小規模かつ遍在的で あるという意味でFairyと呼ぶ。これは、多数の情報提供端末が公衆電話のよ うに遍在的に存在する環境のもとで、エンドユーザにとって安価で使いやすい モバイルシステムを提供することを目的としている。
従来、同様のシステムを構築する場合は、(a)個々人が所持する比較的高価な携帯 電話やモバイル機器、(b)中央に設置されるエンドユーザ情報管理システム、(c) 通信ネットワークと接続したサーバ上の情報流通システムが不可欠と 考えられている。本稿では これらの仮定を吟味しなおす。すなわち、本提案の特長は、(a)に対し、スマー トICカードという安価な端末をエンドユーザに保持させ、情報提供を遍在的計 算環境に求め、(b)に対しては、集中型のエンドユーザ管理を不要とするアー キテクチャを考察し、さらに、(c)に対して、ネットワークの有無を問わずに、 エンドユーザの性格に応じた情報提供を可能とする方式を議論する。
本システムは応用面では、エンドユーザ主体の情報管理、市街でのナビゲーショ ン、観光地での情報提供サービス、電子商取り引きなどに広い範囲で適用でき る。また、人工知能に関連する技術的課題としては、並列分散型の動的フィル タリング手法の開発、分散移動エージェント上での組織計算機能の実現が挙げ られる。理論的には集団内・集団間の人々の行動様式の解明が重要となる。こ のような課題は近未来チャレンジのテーマとして適切である。最近では8bit MPU、0.5KB RAM、8KB EEPROM、16KB ROMを備えたスマートICカー ドが2,000円程度で入手できる状況にある。 。さらに単純ではあるが書き換え可能な情報表示機能をもつものもある。 Java CardというJava動作環境を含むものも発表されている。 これらは既存の情報端末よりも1桁安価であり、しかも、通常、 クレジットカードなどに使われているものより2桁以上の情報保持能力をもつ。
実際、ICカード利用の局面では、電子マネーや定期券・チケットサービスなど の実験が開始されている。電子身分証明や電子カルテなどの構想も発表されて いる。しかし、これらの利用方法はICカードの安全な記憶媒体としての面しか 利用しておらず、利用者にとっての利便性が十分でない。そこで、十数年前の マイコンに匹敵するスマートICカードの計算機としての機能を利用すればこの 問題が解決できるのではないかと考えられる。
一方、最近、インターネット上の情報システムの開発・実験が、商用レベルの みでも、さまざまな局面で進められている\cite{softagent}, \cite{Agent}。 しかし、これらのシステムは必ずしも成功しているとはいえない。それは以下 の理由による。
第1に、現在の情報機器は、安価になったとはいえ高価であり、しかも、いわ ゆる情報弱者にとって、既存の携帯機器の利用が非常に難しいこと。第2に、 エンドユーザの個性に応じたきめの細かい情報提供を実現するには、個人情報 を収集・管理・提供することが不可欠である。しかし、そのためには、個人情 報の維持管理が、サービス提供者にとって大きな負担になること。実際にイン ターネット上の商取引きの維持においては、これがネックになることが知られ 始めている。第3にこれらのシステムはすべてインターネットのような通信ネッ トワークの存在を前提としており、この上のプライバシー保護が大きな問題と なっていること。
- 第1の問題については、次のように考える。 スマートICカードを、携帯機器では実装できないような、高度なインタ フェースをもつ情報提供機能と統合することで、分散協調システムを容易に実 現させうる。すなわち情報システムの利用局面において必要なエンドユーザ個 人に関連する情報を、あらかじめICカード上に保持し、それに基づいて情報提 供システムの動作を制御すればよい。
- 第2の問題についても、エンドユーザが、カード上で個人情報を管理し、入出 力を制御することで解決できる。現在、電子商取り引きにおいては個人情報が ネットワーク上を流通することによるリスク、ならびに、中央で管理される個 人情報データベースのセキュリティが大きな課題になっているが、個人端末に すべての個人情報が蓄積・管理され、その開示・非開示の制御をエンドユーザ が自由に 行うことができれば、エンドユーザの自己責任の範囲において、安全なシステ ムが安価に実現可能となる。
- 第3の問題については、ICカード上の情報そのものが通信ネットワー クの代替物になりうる可能性を指摘する。任意の情報提供端末でエンドユーザ が得た情報のキーやアドレスを履歴としてカード上に蓄積しておけ ば別の情報端末上でそれに基づいた、知的応答も可能となる。また、エンドユー ザのプライバシーに関する情報を蓄積しておけば、それに応じた情報提供も、 その保護も容易である。これらは、従来の集中型個人情報管理の方 式に比較するとはるかに手軽に実現できよう。
ここで提案するシステムの応用領域は潜在的に非常に広く、また、ICカード 自体の性能向上の可能性も高い。システムの開発にあたっては、ICカードの現 在の形状に因われる必要もない。
本提案がきっかけとなって、参加者が主体性をもつ協調システムの考え方が普 及し、他分野の分散型協調システムの研究開発が促進され、さらには、ICカー ド技術の一層の向上がはかられれば、今後の我が国の情報産業・人工知能応用 にとって大きなインパクトを与えるものと考えられる。